政所茶の歴史

政所茶のはじまり

政所茶の起源は、室町時代にさかのぼり、永源寺開山、寂室元光禅師(1290-1367)の高弟の一人で、永源寺第5世住持の越渓秀格禅師(1340-1413)がこの地に茶の植栽を始めたと伝えられています。
応仁の乱の戦火をさけて、京都の名僧が永源寺に身を寄せていたころ、茶会が開かれた記録があり、茶を賞味した詩を残しています。
江戸時代初期、元和4年(1618)、小椋谷六ヶ畑と総称される政所・九居瀬・黄和田・箕川・蛭谷・君ヶ畑の六ヶ村には、彦根藩から茶の運上銭が課せられました。茶はこの地の重要な特産品であったことがわかります。

そして銘茶へ

政所茶が全国的に著名な高級煎茶として登場するのは、江戸時代中期のこと。
元禄5年(1692)成立の『本朝食鑑』には、宇治に次ぐ煎茶の産地として「江州政所」があげられ、また、日本各地の物産図録『日本山海名物図会』(宝暦4年/1754刊行)に、日本各地の銘茶24種の内、第7番目に「近江越渓」の名で現れるのが、すなわち政所茶と推定されます。
国学者・本居宣長(1730-1801)の『玉勝間』には、「近江国の君ヶ畑といふところ」と君ヶ畑村の記述がされ、「此村は伊勢国員弁郡より越る堺に近き所にて、山深き里也とぞ、此村人ども、夏は茶を多くつくりて、出羽の秋田へくだし、冬は炭を焼きて、国内にうるとぞ」と夏季の製茶が盛んで、その茶は遠く東北の秋田にまで出荷しているとあります。

“幻”と呼ばれるように

明治時代には、30トン近くあった製茶量も、戦時中の食糧難による茶畑のイモ畑への転換や、高度経済成長による生業の変化などにより、減少の一途をたどりました。
さらに近年では、奥永源寺地域の高齢化率は45㌫(平成26年現在)を超えており、生産量は減少し続けて、今では「幻の銘茶」と呼ばれています。

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